Column
ロクゼロコラム
3分で読める社内勉強会の話
突然ですが、社内勉強会は無駄ですか? “有志”をキーワードに勉強会を考えた。
2021.04.15
余暇という言葉がありますが、それほど余った時間などないなぁ、というのが私の日々の実感です。しかし、「余り」とは言えないまでも、今思えば「無駄」だった時間はあります。無駄にした責任は私にあるのですが、中には致し方ない無駄もありました。皆さんの会社の社内勉強会が、『致し方ない無駄イベント』になっている、ということはありませんか?
評価は二極化。社内勉強会は必要か否か
社内勉強会がどのように開催されているのかをSNSやnoteなどで調べると、スタートアップの方法や学習テーマの選び方、継続のコツなど、様々なトピックで記事がヒットします。記事の多くは社内勉強会に対してポジティブな内容ですが、ネガティブ志向の記事もあります。そう、「社内勉強会は無駄!」というものです。
実際に、社内勉強会をスタートさせたものの継続できずに消滅、というお話しを聞くこともあります。勉強会が必要とされるならば企業文化として残るはず。フェードアウトした社内勉強会にはそれなりの原因があったものと思われます。
では、何をもって社内勉強会は「無駄」と言わせるのか、その原因を探っていきましょう。
まず、学習テーマについて。会社が主催する研修は、企業理念にそった人材育成のために開催されます。つまり研修の学習テーマは、「こんな社員になってほしい」という会社からのメッセージです。雇用契約関係にある社員は、業務として研修に参加しますので、会社が提示する学習テーマを義務として受け止めなければなりません。いってみれば学習のトップダウンです。
一方で社内勉強会はボトムアップです。社員による社員のための勉強会ですから、今、現場で必要とされるテーマを設定します。しかし、そのための現場の声のリサーチや学習内容の調整は、たいへん手間のかかる作業です。業務の片手間にチャチャっとできることではありません。結果として、常に運営チームメンバーに近い職場や社員がサンプリング対象となったり、リサーチそのものがされなくなったります。そうして全社員を対象に参加者を募るイベントとしては、魅力が薄れていくのです。
その「有志」は、本物ですか?
次に、有志参加であることについて。これはアンタッチャブルな課題ですが避けて通ることはできません。無駄だと思いながら、なぜその社員は社内勉強会に参加しているのでしょうか。
(社内勉強会は運営チームも参加者も有志であることを前提に話しを進めます。これが一般的だからです。)
有志とは、『そのことに関心を持ち、一緒に何かを促進しようという気持ちの有る・こと(人)』(新明解国語辞典)という意味です。逆を言えば、関心がなく、一緒にやろうという気持ちが無い・こと(人)は有志とはいえません。そこで浮かぶのが「無駄だと思うのになぜ勉強会に参加するのか」という疑問です。答えは、ズバリ『建て前』です。もとより有志という言葉は便利に使われます。慶弔事や退職者への花束など、贈り物をするのに有志を募る場面で一般的に私達社員に「拒否」の選択肢はありません。しかし、まあ、そんなときも「有志」で丸く収めるのです。
会社と社内勉強会との関わりが強過ぎると、社員に参加圧力がかかることがあります。圧力の種類としては、「参加しないとやる気のない社員だと思われる(実は勉強会の参加は評価対象である)」、「運営チームのメンバーが直属の上司だ」など。経営者にとって、社員が自ら学ぼうとしてくれるのは嬉しいことです。そのため、少なくない社内勉強会が会社主導で立ち上げられています。社内勉強会はコストをかけずにする人材育成の手段であり、学習する組織をつくるための経営戦略の一つです。人材育成予算を削減したい場合はもとより、成熟した企業文化の醸成に着手したい組織に有効な手段といえるでしょう。会社が勉強会を立ち上げること自体は間違いではありません。しかし、過分に関与をし続けると、運営チームには勉強会継続の圧力、社員には参加の圧力がかかり、悲しいかな開催だけを目的とする「無駄」な勉強会となってしまいます。ここに就業時間外の開催や残業代の問題がからむと、勉強会への不満は急に生々しくなり、有志をうたうことの曖昧さが会社側の目論見として暗く際立ちます。
誰のため、何のため。
目的を見誤らないための勇気を持とう
皆さんの会社の社内勉強会が、見えない圧力によって「無駄イベント」になってしまっていたら、勉強会を根本から見直しましょう。運営チームメンバーの極端なオーバーワークは、勉強会のあり方に歪みがある証拠です。学習テーマの抽出の仕方やファシリテーターの選出、勉強会資料の作成方法、いずれも無理・無駄、また不足がないか、メンバー自身でメスをいれます。そうした枝や葉の検証過程で、もし幹が枯れていることに気付いたら、土壌ごと立て直しをするべきです。場合によっては、開催をしばらく取りやめる判断も必要かもしれません。
その専門家がいることでも分かるように、「教える」という行為は一定の技術を要します。学習のトップダウンである「研修」にプロ講師の登壇を依頼する理由は、受講者の興味が薄いテーマであっても、必ず気づきを得てもらいたいからです。社内勉強会の講師やファシリテーターは社員が努めるため、プロ講師のような技術はありません。そこで大切なのは参加者と学習テーマの親和性です。学習意欲を刺激されるテーマが用意されれば、社内勉強会は自然と継続されるでしょう。また、参加者の興味関心は勉強会そのものの質を上げてくれます。それほどに学習テーマの選定は重要なのです。
まとめ
有志であることにウソがなく、能動的な学習であることにウソがない社内勉強会は、無駄イベントではありません。誰のため、何のための社内勉強会なのか、現場の声を吸い上げる手段や、社員の興味関心を引き出す方法が確立できるまで、開催を焦ることはないのかもしれません。社内勉強会の停滞を感じたら、一度、根幹を見直してみるのもよいでしょう。