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誤解をといたら結構きびしかった「心理的安全性」

2022.09.26

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今、とても注目が集まっている「心理的安全性」という概念。2015年にGoogle社が「成功するチームの条件」として発表したことによって、日本でも広く知られるようになりました。仕事は好きだけれど、一方でプレッシャーやストレスも感じます。私たちにとって「心理」「安全」はクリティカルヒットな響きではありますが、さて、どんな意味なのでしょうか。

まずは、定義からおさらい

「心理的安全性」は、職場のハラスメント防止対策やダイバーシティの受け入れと同期して、この数年で一気に定着した言葉、概念です。

このムーブメントの発端はGoogle社の「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」でした。

Google社は2012年から4年の歳月をかけて、このプロジェクトで「生産性向上」について研究をしました。プロジェクト・アリストテレスがユニークだったのは、知識やスキルといった業務上のテクニックではなく、主に人員構成・人事関連からのアプローチで調査・研究を重ねた点です。

プロジェクト・アリストテレスは、社員同士の影響の仕方を観察し、生産性が高いチームの共通点を導きだしたのです。その結果発表されたのが、「成功するチームにとって最も重要なのは心理的安全性である」というもの。

GAFAの一角であり、堅固な地位を確立している、あのGoogle社がいうのだから説得力があります。また、日本でもそうですが、D&Iとの親和性もあって、多くの企業でこの概念は無視できない存在となりました。

Google社とセットで語られることの多い「心理的安全性」ですが、実は提唱されたのはもう少し前、1999年です。提唱者はハーバード大学の教授であるエイミー・エドモンドソン氏。実社会での経験を経て大学に戻った同氏。リーダーシップやチーミングなど組織心理学の研究をされています。

エイミー・エドモンドソン氏は「心理的安全性」を、「対人関係においてリスクのある発言や行動をしても、他のメンバーがその発言・行動を拒絶せず、罰しないことが共有されている状態」と定義しています。

ここで注目したいのは、リスクのある発言や行動が前提となっていることです。メンバーやチームに対してリスクを覚悟でする発言がどういったものか、それを想像すると浮かぶのが「真剣さ」です。

親が我が子を叱るのは愛情があるから。上司が部下の間違いを正すのも、部下の成長を思えばこそです。

同様に、チーム内で交わされる「リスクを覚悟の発言」も、仲間として仕事そのものや相手への一種の愛情が包摂されているように思います。仕事や相手に真剣に向き合わなければ、拒絶や罰せられるリスクを侵してまで発言しようとは思わないでしょう。

「心理的安全性」の誤解

「心理的安全性」はその「安全」という響きに、どうも誤解を生む要素があるようです。それは、誰も傷つかない、苦しまない、プレッシャーもストレスもない、それを「安全」と解釈することもできるからです。

しかし前述したように、エイミー・エドモンドソン氏の言うところでは、対人関係におけるリスクのある発言や行動がないわけではなく、むしろ、リスクのある発言や行動は、チームにとって必要でありマストなのです。

VUCAと言われる現代のビジネス環境にいて、現状に留まっていてはチームや組織は生き残ることができません。

たとえば、老舗の飲食店や定番のスナック菓子なども、時代にあわせて少しずつ商品の味を変えているという話しを聞いたことはありませんか?VUCAとは違う尺度ではありますが、時を経ても変わらないと思われている商品も、人知れず変わっているということです。まして、昨今の変化の激しいビジネス環境で成果をおさめるには、劇的なイノベーションを伴う変化が求められることもあるでしょう。

安全な場所でぬくぬくとしている状態は、決して「心理的安全性」が確保されているとはいえません。

「ぬるま湯とは違う」心理的安全性

ところで、老舗の味や定番商品のレシピを変えようという声が組織内から起こったとします。皆さんだったら、この声にどのような反応を示すでしょうか。即答でYesですか?長年にわたって消費者から支持されてきた味です。プライドもあり自信もあり、なんといってもレシピの変化を消費者が受け入れてくれるのか、その不安もあります。

そして、その思いはレシピの変革者もきっと同じです。また、レシピ変更の言い出しっぺには、現状より良いものを作り出す責任があります。自らプレッシャーとストレスを抱えにいっているようなものです。

もちろん、皆さんはおわかりですね。

ここで尻込みをする組織は現状に留まることになり、何か奇跡的なサプライズでもない限り成長は望めません。

商品やサービス、業務フローから人事システム、組織構造に至るまで、組織を構成するあらゆるものには歴史と背景があります。しかし、その先を目指すなら、仲間やチーム・組織に対して、プライドや信念を傷つける発言をしなくてはならないこともあるでしょう。リーダーにしろ、フォロワーにしろ、組織の歴史と背景に言及するにはエネルギーを要します。拒絶や蔑み、場合によっては仕返し(罰)が頭をよぎるからです。それでも必要と思う変化を看過できないあなたは、きっと発言することをやめないでしょう。

また、変化を問われた側も受容のエネルギーが必要です。ふいにプライドを突かれたとき、ニュートラルギアで返答できる人は仙人並みの精神の持ち主ではないでしょうか。怒ったり、傷ついたり、およそネガティブな心の動きがあるはずです。けれど、相手の発言の真意を理解し、部分で許し、ともに考える態度がチーム・組織を活性させます。喧々諤々の話し合いを経由したとしても、真に心理的安全性が確保された関係であれば、きっと最適解がもたらされるでしょう。

喧々諤々の話し合いは、スリリングでチャレンジング、ある意味で「危機的」な状態といえます。しかし、組織が成長し、生き残っていくために必要な道程であり、一人ひとりが生き生きと仕事をする動機にもなります。

何もしない、現状維持が心地よい人が思う“ぬるま湯”のような「安全性」は怠惰でのんびりとできますが、退屈な組織、商品、サービスの温床となります。一方で、個人と組織の成長を志す人の「安全性」は、意外と厳しくストレスフルかもしれません。ただし、そこにはメンバーとの真の絆や商品・サービスへの愛情、将来への希望があります。

皆さんはどちらの「安全性」をとりますか?

まとめ

心理的安全性を語る時、「対人関係においてリスクのある発言や行動」が前提になっているのは、その発言や行動の根幹に相手やチーム・組織に対する愛情があるとするからです。

逆にいうのならば、そうした愛情を感じられない人にとっては「心理的安全性」は意味がないかもしれません。

何事も「どうでもいい」と思っていたり、「言われたことだけやる」という取り組み姿勢の人は、元来、「リスクのある発言」をせず、そうしたやり取りに興味がないからです。

「心理的安全性」がもたらす生産性向上と、それにともなう「職場の働きやすさ」は誰が享受すべきものなのか。自分はどちら側の人間なのか、今一度振り返ってみるのもよいかもしれません。

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